あの日は…砂漠の中にある国であっても、とても暑い、暑い日だった。
何時もなら吹き抜ける砂混じりの風が全くの無風で、ジリジリと地を焼きつくす様に太陽は街を照らしてた。
何時もは賑やかな城下が、その日はとても静かで、余りの暑さ故に城下は歩く人もまばらなのだと、そう思っていた。
今思えば既に不穏な空気はその時に察して居るべきだったと。そう思う。
けれど、まだその頃の俺がそんな事を察するには幼すぎた。
いや、何れ国を治めなければならない者ならば、幼いと言え察するべきであっただろう。
だから”幼いから”は言い訳に過ぎない。
”ワァアア----!!”
自室で母上と共に居た俺は、聞いた事のない様な叫び声や怒号を遠く耳にし、何だろう?と思っていた。
その音はだんだんと自分に近づいてくる様で、不安な気持ちに心臓の音が早鐘を打っていた事を今も覚えている。
「母上…。」
母にしがみ付き顔を見上げると、今まで見た事のない厳しい顔をしながらも
「大丈夫よ…。」
と俺を抱きしめると戸口を見つめそこから報せが入るのをジッと待っていた。
見当もつかない程長い時をそうして待っていたように感じたが、実際にはほんのわずかな時間だったかもしれない。
何とも言いようのない静寂と緊張がその部屋を包んでいた。
その静寂を破るかの様に城の兵が扉を乱暴に開けると、こう叫んだ。
「王妃!王子を連れて、今直ぐお逃げ下さい!王叔父殿下が謀反を起こされ、城に攻め入っております!早く!」
「王は!?」
「王は下にて応戦中で御座います!さ、お早く!!」
それまで静かだったその場が一気に悲鳴と混乱に包まれ、母は真っ青な顔をしながらも、侍女・侍従達の指揮を執っている。
「母上…父上は…?」
「お父様は大丈夫。さ、貴方は先に行きなさい。私は皆を無事避難させ次第追掛けるわ。良いわね?」
「やだよ…母上が行かないなら、僕も一緒にここにいる。」
「…ダメよ。ナミル。この国をあなたはいずれ導かなければならない。だから、貴方の身が一番大事。分るでしょう?」
「いや、だ…。」
精一杯の我が儘を言ったと思う。自分の立場は生まれた時から言われ続けて来た事だ。十分に分っていた。
それでも、あの状況下で母と別れてしまったら、もう二度と会えない気がしたからだ。
「ナミル様、さ、早く…。」
乳母からそのまま侍女になったアムナが俺の拒否は聞き入れないとばかりに手を引くが、
俺は頑として母から離れなかった。
最後の最後まで母を困らせる、出来の悪い息子だったと思う。
一瞬困った顔をして、それから急いで飼い猫を抱き上げると僕にそれを渡した。
「ナミル、ママからのお願いを聞いてくれる?」
優しく頭を撫で、僕とお揃いの蒼い瞳で僕を覗き込む。
「うん…なぁに…。」
「いい子ね。ハヤは1人では逃げられないでしょう?だから、この子をナミルが守って逃がしてあげて。出来るかしら?」
「でも、母上が…。」
「私は大丈夫よ。ほら兵もいるし、直ぐに後を追うわ。そうだ。ソレーマンの所で逢いましょう。ハヤと一緒にそこで待っていて?良いわね。」
「はい…母上…。」
嫌な予感がして、自然に目から涙があふれていた。
泣きじゃくる僕を母はギュッと痛い程抱き締めると、耳元で”気を付けるのよ。無事でいてね。”と囁いた。
僕は母の肩に頭を落としその温もりと匂いを忘れないように擦りつけ”母上も…待ってるから。”と返した。
「王子、さ、行きましょう。」
アムナが半ば強引に母から引きはがすと、母に一礼をし僕を引っ張っていく。
僕は母の姿を見つめたまま、部屋の隠し戸へと連れられてその戸が閉じるまで母を見つめていた。
母は悲しそうに笑っていた。あの時、母は何を思っていたのだろうか。
俺の幸せを願っていたのか。それとも、生きながらえて大きく育った俺の姿を想像していたのか…。
もう問う事は出来ない。
薄暗い通路をアムナと駆け足で進む。
ここに通路がある事は父から聞いていた。けれど、それを使う事はきっとないだろうと思っていた。
父は俺から見ても良い統治者であったと、記憶を辿って思い出してみても、そう今でも思う。
ただ、俺を溺愛していた事を除いて…。
「息子の出来が悪いから」という理由で起きた謀反であったと、後に街の噂で聞こえ知った時、
俺の所為で両親は死んだのかと、生きているこの身をとても恥じた。
俺がもっと野心を持っている様な人間であったなら、両親は無駄に命を奪われる事はなかったのだろうか?
いや、それもきっと違っただろう。
叔父達はつけいるもっともらしい理由に俺を使っただけなのだと思う。
単に国をわが物にしたかった。単純な理由で、俺達家族は淘汰されただけの事だ。
弱かった。平和にボケていた。負けた。それだけの事。
通路を進みながらその道が何処へ繋がっているのかを、俺はその時覚えていなかった。
「アムナ…。この道は何処へ続いてるの?」
「どこへでも。逃げるのに一番より良い場所へ出られるようこの道には魔法が掛けてあるそうです。」
「魔法…。」
「そうです。今回は多分ですが、王妃様がソレーマン様の所で…と仰っておいででしたから、きっとそこへ通じていると思いますよ。」
「そう…。ねえ、母上は大丈夫かな…?」
そう訊ねる僕に、アムナからの答えはなく、暫くすると大きな扉に突き当たった。
アムナがそっと戸を開けると、そこは俺にはとても馴染みのある部屋だった。
「ソレーマン!!」
俺は抱えていた猫のハヤを放り出し、城の魔法使いであるソレーマンに抱きついた。
「おぉ…!王子。よくぞご無事でしたな。」
頭を撫で背中をさすると、部屋の戸を締めそのままその外の様子を警戒しているアムナに声を掛ける。
「王妃はどうなされた…。王は?」
「王は王子が部屋をお出になった時階下で応戦をされているとの事でした。王妃は王子を逃がし始末を付けてからこちらへ参られると…。」
「そうか。一体何があった?」
「王叔父殿下が謀反を起こされたようです…。」
「カウィ殿下が?…そうか。」
「ソレーマン様。これからどうされます?きっとここもいずれ手の者がやって参りましょう?」
「…先ずは身支度と、後は王妃を待つ。アムナ殿は、今の内にお逃げなさい。」
「いえ…王妃が来られるまでは、私も、待ちます。」
アムナの真っ直ぐな視線には何か決意が秘められている様に見える。
それを感じ取ってかソレーマンはそれ以上何も言わず、
「それじゃ、荷物を纏めるのを手伝ってくれるか。」と短く告げ、彼女もまた頷くだけで直ぐに動き始めた。
俺は立ちつくし二人の動きをボゥっと眺めていた。
今起きている事は実は現実に起きている事ではなく、悪い夢なのではないかと思いはじめていた。
”夢ならば、早く覚めて…”
そんな思いを打ち消す様にドタドタと大きな音が近くに響いて来た。
「いかん、王子こちらへ!」
ソレーマンの声にハッと我に返り、急いで老人の元へと駆けよる。
「ナミル王子、剣は…お持ちですな?」
「え…、戦えるような剣は…。父から預かる宝剣しか…。」
「宜しい。それは、何があっても御身から離されませんように。」
”それはどう言う意味か…?”と訊ねる隙もなく、ソレーマンの家の戸口から人が雪崩入ってきた。
もみくちゃにされる様に入ってきた人の中には母の姿があった。
「母上!!」
「ナミル!!…いきなさい!!」
それが母の最期の言葉だった。
母の差し出された手を掴もうと精一杯俺も腕を伸ばした。
けれど、触れる事も叶わず母は俺の目の前で敵の兵によって殺害された。
その一瞬は、まるで一つ一つ場面がとまりながらゆっくりと流れるように見えた。
見えただけで、本当はあっという間の出来事だった。
ソレーマンがその歳に似合わない強い力で俺を羽交い絞めにし、聞きなれない呪文を唱えると、
俺とソレーマンの周りの空間が歪み始めた。
血まみれの母が地面へと崩れ落ちるのと同時に、俺とソレーマンは目を開けていられない程の光に包まれた。
「母上-------!!」
腹の底から声を出し叫んだ。その声が、母の耳に届いたか分からない。
真っ白な光の中遠のいていく意識の中で、母を、そしてアムナまでもあの場所に置いてきてしまったという罪悪感と悲しみが、俺の心を包んで行った。
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