聖ノールティア王国。
そこは女神に祝福された国である。
女神が創られたその国には久しく栄え、王の血をひく姫達には皆、1つ不思議な力を授かっていた。
その為に国内外の好事家は私欲の為、姫達を我が物にしようと日々策をめぐらせていた。
そんな悪い噂を聞きつけた王は姫を護る為、国中から騎士を募り護りにあたらせた。
そんな国の中心にある王宮の片隅、木々がこんもりと立ち王宮から見えるのは古ぼけた塔しか見えぬその場所に、一人の姫が住んでいた。
離宮と言えば聞こえがいいが、一見しては侍従または下女の住まい屋かと思う様な、昔は豪奢な作りだったのかもしれないが、今は手入れをせねば直ぐに朽ちてしまう様な、
古い作りの小さな宮にその姫は住んでいる。
名を「ユスティーナ・ティレル・ノールティア。」といった。
母は街で評判の歌姫であった。
王が街の祭りに視察と称し、興業を観に来ていた時、舞台で歌う女のその歌声に心を奪われた。
見初められてから、王は策の限りをつくし女を口説いた。
身分の違いから何度も断りを申し出るも、街での生活に支障が出るほどの執拗なアプローチに根負けをする形で、王妃となる事を承諾したのである。
王との間には1人娘が産まれた。
王は我が子を愛し心から王妃と娘を愛でたが、王には他に数多程の王妃が居た。
第1の正妻である王妃から始まり、その出自は皆由緒正しい姫達ばかりであった。
ユスティーナの母は、庶民の出ではあったが、聡明な女性であった。
故に、自分の身分相応以上の物は何も望まず、奥宮の豪奢で広い部屋を辞退し、
自炊が出来る小さな古い離宮へ移る事を、唯一の我が儘として王に懇願した。
王は皆平等に王妃を愛していたため、ユスティーナの母が側を離れる事を嘆いた。
それでも、
「私の歌が聞きたくなった時には…何時でもお側にはせ参じます故…。」
と、約束をする事で、この離宮に住まう事を赦されたのである。
母はユスティーナが小さな頃から「貴女は他の姫の様に立派なお家の出ではないのだから。他の姫には丁寧に接するのですよ。」と言う事を言って聞かせた。
ユスティーナはそれをしっかり心に刻み育ち、大きくなると自分の失敗は母の出自を更に貶められる事になるのだ思うようになった。
王宮内では常に気を張り、誰よりも低頭な姿勢で他の姉妹姫(例え歳の離れた妹姫であっても)に対して、一つの粗相も無いようにと尽くしていた。
そもそも、王宮殿へ自らが赴く事はよっぽどの事がなければ、足を運ぶことはなく、ユスティーナの存在は居て居ぬ者の様であった。
存在が知られていないから、親しくなる姉妹も殆どおらず、離宮へ足を運ぶ者などは、殆どいなかった。
それを寂しいと思う事がなかった訳ではないが、それよりも母を護れるのは自分しかいないと思う気持ちのが強かった。
それに城下へ行けば、気軽に話せる知り合いは何人もいた。そしてそれを自らの慰めとしていたのである。
姫は母のお腹に居る時からその歌声を聴き、歌が共にある事が自然な事であった。
そしてユスティーナが歌えば、その歌声は母をもしのぐ程美しく、まるで鈴を転がしたような、または一節歌えば野に広がる花々が全て花開くような声色を奏でる事が出来た。
が、女神の残酷ないたずらか彼女の歌には能力が宿っていた。
その為、ユスティーナが歌を初めて覚えた小さな頃、大きな事件を招く事となった。
それ以来、彼女は歌いたい気持ちを心の内へ閉じ込め、歌う事を自ら禁じる事にしたのである。
唯一と言っていい誇れるものを、誇る事が出来ない悲しみと共に、彼女は生きる事となり、それはますます自分を卑下していく材料となった。
”自尊など…何の役に等たたない。”
そう思うと、少し先に見える煌びやかな光を放つ宮殿が、より一掃遠い物に感じ、更に足が遠のく事となった。
その逆に、古い建物故か有事の際の脱出口としての物であろうが、城下へ降りる隠し扉を見つけてからは、街へと更に良く出かける様になった。
そして、”自分はこちら側の人間の筈なのに…どうして王宮等に居るのだろう…”という思いを貯め込み憂う事が多くなっていた。
そんなある日、いつもの様に夕餉の食材を(と言っても自給自足している分買う物は少ないのだが)買いに、城下へ降りた時の事。
確かにその日は珍しく父王からの頼みで、並み居る姫達の中でも年長の部類に入るユスティーナに公務の白羽の矢が当たり、用を済ませてからの買い物となった為、いつもより出かける時間が遅くなった。
日は傾き少し陰りを見せ、薄暗くなる街には暗躍する者達にとっては格好の活動時間ともいえる。
好事家が能力を持つ姫達を攫おうとしている話は、ユスティーナの耳にも入ってはいたが、
一見しては姫等と誰が思うであろう様ななりの自分には、好事家も目を向ける事など、見つかる事などないであろうと思っていた。
所が、好事家達は様々な策で姫をわが物にしようとしており、中には暗躍者たちを雇い、一人姫を自分の元へ連れてくる事が出来たなら、報奨を与えようと懸賞金を付ける者もいた。
だから、暗躍者達にとっては、何の護衛もなく勝手気ままに街を歩く姫がいるという噂を、聞き逃す筈はなかった。
以前より虎視眈々とチャンスを狙い、そして決行に移す事に決めたのである。
ユスティーナが丁度街の酒場の前を通り過ぎようとした時、不意に腕を掴まれ耳元で
「あんた…この国の姫だろう…。」と囁かれた。
ぎょっとして振り返ると数人の男達が自分を取り囲むように近づいてくる。
「何者です!!」
叫ぶユスティーナの声に反応するようにその男達は縄をもちユスティーナの手にそれを巻きつけ体の自由を奪おうとした。
「離して!何するの!!誰か…誰か助けて!!」
人相の悪い男達はユスティーナを仲間が縛り上げようとする間、残りの仲間は街の人々を威圧し、怯えた住人達は塵ジリに家の中へと逃げ込んで行った。
助けは来ないと判断したユスティーナは、何とか自力でしなければならないと、絞められた縄の中でもがき、まだ自由になる足で近づく男達に必死で抵抗をした。
しかし、男達にとって所詮は非力な女が一人で自分たちに敵うはずがないと言う事を知っている。
ニヤニヤと嫌な笑いと見せながら、
「なぁ。この姫さん幾らで売れると思う?」
等とユスティーナが恐怖するように技と聞こえる様にそんな会話をしていた。
それを聞き、やっとの状況が見えてきたユスティーナは、これが好事家が放った手の者だという事に気がついた。
”失敗した…。”
心の中では自分の身の心配よりも先に、母の事を思い、父王にかかる迷惑に恐れを感じていた。
「だ…誰か…。だれ…か、たす…けて…。」
零れ落ちそうになる涙を必死でこらえながら、小さくその言葉を口にした時。
”ブン…!”
空を何かが裂く音が俯いていたティナの耳に届いた。
”ぎゃぁ―――――!!”
誰の者とも分からないが、まるでこの世が終わるような声のした方に、ゆっくり顔を向けると、
そこには彼女をとらえようとしていた男とは違う、黒いマントをたなびかせ、漆黒の長い髪を振り乱し、良からぬ者どもを次々となぎ倒している、ガタイの良い男の姿が見えた。
「何だ…お前…。」
ユスティーナの縄を掴んでいた男がそう息巻くと、その男は無言でゆっくりとこちらへ振り返った。
黒い髪の中でオレンジの強い光を放つ瞳を持ったその男は、ゆっくりと近づき。
ユスティーナへ一度その眼を向けると。
「助けが必要か?」と短く告げた。
声にならずコクコクと頷くと、その男は瞬時でその暗躍者たちの懐へと潜り込み、まるで踊る様に二つの剣を器用に操り次々と薙ぎ払っていく。
その光景は決して気持ちの良い物ではないはずなのに、ユスティーナの眼はその男の動きにくぎ付けとなっていた。
最後の1人を始末し、血濡れになった剣を”ビュッ!!”と掃うと、携帯していたもう一つの小さな剣でユスティーナの縄をほどいてくれた。
「…有難う。」
そう言うとその男は
「いや、別に礼など言わなくていい。じゃ…気を付けて帰れ。」
と短く言うと、酒場の中へと入って行った。
呆然とするユスティーナは暫しその場に転がる惨事を眺め、そして酒場へその男の背中を追ったのである。
酒場へ入ると、その男は何事もなかったかのように、元居た席なのであろうか?へ座り、酒を飲んでいた。
ユスティーナはゆっくりとその男に近づくと、
「あの…。」と躊躇いがちに声を掛けた。
ユスティーナの声に表情を変えることなくチラリとみると、
「何だ?どうかしたか…?」とその男は答えた。
「あの、先ほどは助けて頂き…有難う御座いました。命を…助けて頂いた。あの、何かお礼を差し上げたいのですが…。」
と言うと、先ほどの惨事の光景が今になって脳裏をよぎり、体が少し震えている事に気づく。
「いや、さっきも言ったが、例など構わない。それより早く帰らないと、またあんな輩がまだ居るとも限らないぞ?」とその男は言った。
「そうですか…。それでは、せめてお名前を伺う事はお許しいただけないかしら。ワタクシはこの国の王の子。ユスティーナと申します。」
と言うと小さく礼を取る。
それを聞いてその男はまじまじと見つめ、
「ホントに姫だったんだな。あ…、悪い意味で言ったつもりじゃ…。」
と頭を掻いている。
その様子に先程の殺伐とした鋭さは欠片もなく、間の抜けた感じに震えが自然と収まっていた。
「俺はヴァリオン。ヴァリオン・アージェンだ。」
とその男は言うと、酒場の店主に
「親父、もう一杯くれ。」と声をかけていた。
店主がグラスを手に代金を請求すると、
その男。ヴァリオンは見るからに慌てていた。
「財布…あれ…どこいった…。ここに置いてあった筈…。」
と言うと、店の店主は
「そんな大事なモン、テーブルの上なんかに置いて席離れてりゃ、喜んで誰かもってっちまうさ。アンタ…まぬけだなぁ。」と笑った。
「そうか…。」
としょんぼりしながら席を立とうとするヴァリオンに、
「ご主人。この方のその酒代は、ワタクシが払います。」とユスティーナは金貨を渡した。
「毎度。俺ぁ、金さえもらえりゃ誰から貰おうと関係ないんでね。ごゆっくり。」
というと、忙しそうにカウンターへと戻って行った。
「悪い…いいのか?」と、情けない顔で言う彼に、
「ふふふ、命を助けて頂いた代償としては…安すぎますわね。」
とユスティーナは笑い、そして続けてこういった。
「貴方がどんな方なのかは存じませんが、もしこの先何かお困りごとがありましたら、王宮でワタクシの名を伝えて下さい。出来る限りの事をお助けい致しますので。覚えて置いて?」
と小さく微笑み、そしてもう一つ…。
「それでは、本当にもう帰りませんと。重ねて有難う御座いました。外の…片付けは、王家の方で片付ける様に伝えますからご安心を。」
と伝えた。
「あ、あぁ…分かった。」
何だかわからないと言った様な顔で、そう返事をするヴァリオンに一礼をすると、
「それでは…。」
とユスティーナは踵を返して、足早に家路へとついたのである。
その道中の脳裏には、あの戦慄的なそれでいて軽やかに舞う様に戦うオレンジの眼をしたヴァリオンの姿が浮かんでいた。
ここから二人の物語は始まる事となったのである。
to be continude...
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