「う…ん………。」
「気が付いたかね?」
「ここ、は…?」
目を覚ますとそこは壁一面に本が並び、見た事のない道具や様々な薬草で囲まれた、
薄暗くとても狭い部屋だった。
一瞬それに目を奪われたが、ハッと我に返りソレーマンへと詰め寄る。
「母上は!?アムナは!?」
そうソレーマンの裾の長い服を掴み揺さぶる俺の足元に温かい物が纏わりついた。
”ニャー…。”
「ハヤ…。」
ゴロゴロと主を見つけたとばかりに喉を鳴らし擦り寄る猫を抱き上げ背中を撫でると、
急に現実が押し寄せて、自然と涙がこぼれた。
「助けられたのは…この猫だけだった。王子、何とお詫びをしてよいか…。」
「母上達は…死んだんだね…。」
「…はい。」
「父上は…?」
「叔父上により惨殺させられた様です…。」
「…見せて。」
「いや…それは…。」
「最後、僕は父上に会えなかった。だから…見せて。」
「お辛いですぞ…。」
「うん…。」
ソレーマンは杖で空間に輪を書き呪文を唱えると、そこに鏡の様な物が現れる。
本来なら向う側の壁が透けて見えるであろうそこに、更に呪文を掛けると、つい今しがた俺が居た場所が写っていた。
ハヤを下ろしてその鏡を見つめ告げる。
「父上を。」
短く命をくだすと、鏡は画面をフッと切り替え、いつも父が国の大事な時に出る城のテラスが写っていた。
そこにまるで罪人にするかの様に父の首は棒で下から貫かれ、国民の前にさらされている。
その横で父が今朝ほど迄その切り取られた頭の上に掲げていた王冠を、頭に被り何かを階下の国民に叫んでいる大叔父の姿が見えた。
それはとても誇らしげで、階下で話を聞く国民たちの顔とはとても対照的だった。
「父上…。」
父の無残な姿を見て、僕は叔父の首を今すぐにも獲って帰って切り捨ててやりたかった。
深く息を吐き気持ちを整えると、
「母上を。」と告げる。
サッと画面が切り替わると、そこはついさっきまで自分が居た場所だった。
血に塗れた足跡がいくつも広がる床に母の身体が横たわっている。その上に重なる様にアムナの姿があった。
アムナは母を助けに駆け寄り、そのまま刺殺されたのだろう。
父も母も、きっと墓石をたてて葬られる事はきっとないだろう。そう思うと心の中に口に出して形用する事の出来ない様な感情が渦を巻いていた。
単純に言うならばそれは”怒り”というものだろう。
これまでに感じた事の無い様な”怒り”が俺の心の中を支配してた。謀反をおこした叔父に対しては勿論だったが、両親を護る事も出来ず、ただ護られる事だけしか出来なかった自分に、またこうしてのうのうと生きながらえている自分自身に一番の怒りを感じていた。
ツゥ…と頬を伝い落ちる涙にも怒りを覚え、手に爪が食い込み血が流れる程だった。
瞬きもせずその鏡を見入ったが、不意にそれが消え我に返った。
「…もう、宜しいでしょう。」
「…うん。」
固く握って開かない俺の拳を手に取り、ソレーマンは開くと、傷ついた手のひらに呪文をかけ傷を治していく。
俺はされるままにただ黙っていた。
「…復讐したい。ですかな?」
ソレーマンから出た言葉はとても意外な物で、その瞬間我に返る。
「…復讐?」
「ええ。そうです。カウィ殿に同じように仕返しをして、国を取り戻したいですか?」
問われて考える。
両親の国は取り戻したい。だってそれは両親が大切にしていた国だから。それに両親をちゃんと埋葬してあげたい。大叔父にちゃんと罰を与えたい。
けれど、自分にその力があるのか?と考える。
俺の力になってくれそうな者と言えば、今この目の前にいるソレーマンだけだ。
零れる涙を腕でグッと拭い、ジッとソレーマンの顔を見る。
「カウィ殿らを倒す位なら、私一人でもやれましょう。…そう、したいですか?」
手を治す為手のひらを見つめていた顔を上げ、俺を真っ直ぐと見つめ問われる。
「倒すという事は、貴方もカウィ殿の様に、血で血を洗う道を選ぶという事になりますが、そのお覚悟はありますかな?」
そう言われ、あの血だらけの床に転がる人達の光景が脳裏に浮かぶ。
自分が同じようにそれをしたいかとソレーマンは問うたのだ。
俺は自問してみても答えは出ない。怒りはあっても、人を殺すという事が想像出来なかった。
ましてや自分が手を下すという事等、到底覚悟出来るはずもない。
けれどこの抑えようのない怒りのやり場がないのもまた事実だった。
「…分らないよ。僕…。」
混乱するなかでの問いに答えが出ず”分らない”と言う言葉で返した俺に、ソレーマンは叩きつけるようにつづけた。
「では、仮に取り戻したとして、ナミル殿は”国”を治められますかな?」
「…国を治める。」
「そうです。王家の中でおこった事は国民にとっては関係のない事。彼らに関心があるのは日々の生活であり、国の頭が挿げ替えられたところで、生活が良くなるかどうかと言う事しかない。生活とは日々続く物。王家内の紛争を収め、自分の味方を増やし、信頼のおける部下を見つけ、国民を護る務めをすぐにでも貴方はやらねばならぬ。”王”になるという事はそういう事です。それを、ナミル殿は出来ますかな?」
「そんな…!僕は何もかもを失くした。ソレーマンしかいないのに、そんなの無理だよ…。」
それまでの怒りとは別に事の大きさに消沈すると、ソレーマンはフッと笑い俺の肩に手を置いた。
「ナミル殿。やはり貴方は”王子”ですな。ご立派ですぞ。」
「え…?」
「子供であれば赤子のように泣きじゃくり感情のまま暴れても良い様な事であった。だが、貴方は気持ちは別としてもちゃんと
物事を冷静に見ておられる。国の上に立つ者となるのであれば、その”冷静さ”は持っておらねばなりません故…。」
それが良い事なのかその時の俺には分からなかった。
ただ両親を失くした事に、誰かに甘えて泣き叫ぶことが出来たならどれだけ良かったか。
「僕は…父上、母上を思って泣く事も出来ないの…?」
一度そう思うと両親の在りし日の思い出と共に(まだ思い出ともしたくなかったが)悲しみが押し寄せて、結局声を上げて泣いた。
ソレーマンはただ、俺をそっと抱きしめて泣きやむまで胸を貸していてくれた。
それから数日、何をする事も特になく、何かをしたいと思う事も浮かばず、ただ日々をぼんやりと過ごしていた。
俺はその間ずっとソレーマンに言われた「国を取り戻したいか?」「復讐したいか?」という事を自問していた。
ソレーマンは何をしているのかは分からなかったが、とても忙しそうだった。
ある日ぼんやりとソレーマンを見ていて、そんなに若くもない彼が少し心配になった。
もし彼が今倒れて死んでしまったら、俺は本当の本当に一人になってしまう。
心を許せるのも、頼りになるのも、これから先大人になるまで生きていくには、彼の力が必要だった。
”生きていく…?”不意に自分がこの先の事を考えている事に気が付いた。
俺は”生きたい”のか?大人になってどうするとかそんなことまでは考えは及ばなかったけど、それでも大人になる事を考えている自分にとても驚いた。
両親を憂いて自分も共に死へと旅立とうとも思わず、生きる事を望んでいるというのかと、
自らの身勝手さに何て薄情なんだろうとも思った。
唖然とする自分を払う様にプルプルと首を振って、今はとにかくソレーマンに居て欲しい。
そう考えて、今まで一度もやった事はなかったけれど、アムナがやっていた事を思い出しながら見よう見まねで”お茶”を入れた。
そろそろとコップを持ってソレーマンの元へと行く。
「ソレーマン…。あの、ちょっと…休んだら?」
おずおずとお茶を差し出し声を掛ける。
「おぉ!?ナミル殿がお茶を?」
「うん、初めてだから…美味しくないかもしれないけど…。ね、何をしてるの?」
「…少し、仕事をしておりました。説明するのは…ちょっと難しですな。」
「ふぅん…。でも、働きすぎじゃない?僕、ソレーマンがいなくなったら…困る…。」
どう伝えていい物かとても困ってもごもごと下を向くと、ソレーマンはホホホと笑う。
「そうですな。正にその通りだ。どれ、お茶を頂きましょうかの。」
杖をツィと振ると近くにあった小さな机といすが2脚空を飛んでくる。
それにドシッと座ると、俺の入れたお茶を美味しそうにゆっくりと飲み始めた。
俺もその空いてる椅子に座ると、ポツリ今自分が思っている事を話しはじめた。
「ソレーマン。僕は…薄情なんだ…。」
「薄情とな?またこれは突然どうなされた。」
「僕…”生きたい”んだ。」
「ほぅ…?」
「父上や母上やアムナの事が恋しい。堪らなく会いたいと思うんだ。僕が命を断ったら、きっと会いに行ける。けど…。」
「けど?」
「僕、気づいたんだよ。僕、ソレーマンにあの日言われた事をずっとこの数日考えてて、そしたらソレーマンがいないと、この先僕は生きていけないって。ね、それって僕、”生きたい”って思ってるって事だよね?そう思ってる所に死んでしまった父上や母上はいない…。僕、大好きなのに…皆が居る所に行くことじゃなくて、大人になったらの事を考えてるって、そういうのを薄情っていうんでしょ?」
堰を切ったようにソレーマンの顔を真っ直ぐ見つめ問い詰める。
ソレーマンは一口お茶を啜ると優しく微笑んだ。
「ナミル殿、”生きる”と言う事は動物誰しもが持っている本能みたいな物じゃ。皆誰しも”生きたい”と思っておる。それはごく当たり前な事で、何にも特別な事ではないんじゃよ。ただ、人は”心”がある故に厄介でな?
ナミル殿は思わぬ災難から1人取り残されてしまった。そりゃぁ心が追いついて行かないのは当然至極。
恥じたり薄情だと感じてしまうやもしれぬが、決してナミル殿は薄情何かでは御座らんよ。何故なら、ホレ…?こうしてこの爺に、慣れぬ茶を入れてくれたではありませぬかな?」
「だって、ソレーマンがいなくなっちゃったら…僕どうしたいいか分からないから…それも僕の我が儘でしょ?」
「どんな理由であれ、私に忙しそうだからお茶を飲んで休憩したらいいのにと思ってくれた気持ちは、優しい気持ちですじゃろ?」
自分の気持ちを伝えたら更にモヤモヤした気持ちになってしまった。
けれど、ソレーマンが生きたいと思うのは普通の事という言葉だけは心の中に残って少し軽くなった。
「そういえば、この家は…カウィには知られないの?」
「ほほ、この家に興味がおありかな?」
「うん…だって、何時僕の命を狙いにくるか…。」
「そうですなぁ。これはちゃんとお伝えしておくべきじゃった。ここはナミル殿の国の外にあります故、
かの者は手を出す事は出来ないので、ご安心召され。」
「え、じゃぁ、ここは…どこ…?」
「言うよりも、ほれ…窓から外を眺めてごらんなされ。」
その言葉に促されて本棚に立てかけてある梯子の上にある窓へと向かう。
大きな木戸をあけるとそこには見た事のない世界が広がっていた。
「うわぁ!?見た事のない家が一杯!!」
窓の外には見た事の無い形の三角の屋根を持つ家々がずらりと見渡す限り並んでいる。
人が歩く道はカラフルな石の様な物が敷き詰められ、その先にはとても大きな城の様な物が建っている。
「人が一杯…。」
見とれている俺の隣にソレーマンがいつの間にか来ていた。
「ここは魔法使いが必ず一度は訪れる街でしてな。あの大きな建物は『魔法院』と呼ばれておるのですよ。」
「魔法院…。」
「ここは魔法使いが生まれる街。あの魔法院が出す試練を乗り越えた物だけが魔法使いになれるんじゃよ。」
「へぇ…。ね、魔法使いって誰でもなれるの?」
「まぁ…条件を受け入れ良く学び訓練をすればじゃな。」
「僕でも…なれる?」
「軽率な思いつきでなる者ではありませんぞ?」
「あ、うん…ただ聞いてみただけ。ね、ここはソレーマンの家なの?」
「今はそうですな。院に用がある時にあると便利故に残してあった物で、元は私の師の家だった所じゃ。」
「お師匠様…?」
目の前にいる老人が崇めていた師が居るという事に、それはごく当たり前の事なのかもしれないけれど、俺はとても驚いた。
「へぇ…ソレーマンにも教えを乞う先生が居たんだね…。」
遠くに立つその魔法院の建物を見つめながら呟き、
僕はぼんやり”魔法使い”というものがどんなものなのかと思いを馳せていた。
一時モヤモヤとする心の苦しさが休まりその景色に身を預けていた。
窓から入る頬を撫でる風は、故郷の暑さの中を駆け抜けてくるものとは違い、とても涼やかで心地が良かった。
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