師匠が懲罰により、命を落とした。
禁忌に触れたその亡骸は、形を残す事なくこの世から抹消されるのが魔法使いとして生きるものの決まりだ。
そうは言っても、残していく物はある。
院により所持品は全て精査され、残ったものは引き渡す者がいれば渡し、居なければ廃棄される。
遠く離れて久しかったが、最後の力で飛んできた手紙により、もう師がこの世には居ない事は随分前に知っていた。
師に家族や血縁に繋がる者はいない。少なくとも、僕は聞いた事がなかった。
院でも調べた結果は同じで、結局残された物は弟子であった僕に譲られる事となった。
亡骸すらなくして魔法使いとしての在籍録からも抹消されなかったものとされる者への、院からの情けなのかもしれない。
兎に角そんな理由で院から引き取りに来るようにと連絡が入ったのは、師が旅立ってから半年後の事だった。
その頃の僕は師が最後に僕へ届けた種から木を育て、それを住まい屋として定住する事を選んだ。
そんな折の事だった。
院へ着き受け取りの書類に術のかかった羽ペンで署名をすると、箱を受け取る。
「とりあえず、手渡し出来る物はこれだけだ。住まい屋にある物も全て精査済みだから、好きにして構わない。あぁ、部屋に入れない様に術が掛けてあるから
これも持っていけ。」
「分かりました…。有難う御座います。」
解除の式を書いた紙を粗雑に渡し、事務的に係りの者はそう言うと、早く何処かへ行ってくれとばかりに蔑視した目を僕に見せた。
箱を抱え外に出ると、この街からは遠くにある師の家へ向かう事にした。
借家ならば部屋を空にして大家に返さねばならない。
僕は普段使わない転移の陣を描き師の住まい屋へととんだ。
あの、住まいやへ…。
元々左程綺麗でもなかったその場所は、思い出に残るそれよりも更に荒れみすぼらしくなっていた。
魔法院が施した術式が入り口で鎖の様になり入れないようになっている。
僕は院でもらった解除式を唱えると、術で繋がった式は空に融けて消えていく。
扉の前に立ち少しの間僕は中に入る事を躊躇った。
「二度と戻る事はないと思ってたのに…。」
小さくため息をつくと意を決してその戸を開けた。
主を失くしたその部屋は、いたるところに院の手入れが行われた形跡が見られ例えるならば荒されたという言葉が一番しっくりくる様だ。
僕がいなくなってから手入れをする者もいなかったのだろうか?
物が置かれていない場所には厚く埃が溜まり、ここを旅立った日からの年月を感じた。
「さて…どこから片付けようかな…。」
長く離れていても、何処に何があるという事は身体が覚えていた。
師の荷物は大部分が処分され、左程多くもない荷物ではあったが、それでも一人で片付け空にするには時間がかかってしまう。
もう太陽は空の一番上迄来ている。
今日中に戻る為には一気に片付ける必要があった。
僕は埃をかぶっている師の水鏡に新しく水を張ると、術を唱え自宅の納屋へと道を開けた。
そして杖を振り一か所に集めた荷物を納屋へと送る。
院で預かった箱も同じくして送り道を閉じると、水鏡を空にし持ち帰れる様に台から外し包んだ。
物が無くなったを見回し、僕は自分が使っていた部屋の戸を開けた。
部屋はとても狭く小さかった。
こんな風だったかな…と、僕は備え付けのベッドに腰掛け部屋の戸を眺めた。
と、そこにはぼんやりと師の姿が見えた気がして、少し懐かしい気がした。
良い思い出何て無いにも等しいが、それでも、ここは捨て去る事の出来ない僕の思い出の場所で、僕が住んでいたという事実は変えられない。
フゥ…とため息をつくと不意にチカリと光るものが横目をよぎった気がした。
光る方を見るとそこには小さなサイドテーブルがある。
それは実は隠しチェストで、一見にはテーブルにしか見えず、それに引き出しが付いているのを知っているのは僕と師匠しかいなかった。
そしてその引き出しに術が掛けてあり封がしてあるのだ。
「師の術じゃ…解くの難しいな。」
魔法の術式は掛けた本人しか解けないのが殆どだ。
だから、師がもういない今、開ける事は敵わないだろう。そう思いながらその引き出しに手をかけると、
その術はパーンとはじけ消えた。
「え…。何だろ…。僕の手で解除出来た…?」
よっぽど怪しい物でも入っているのかと恐る恐る引き出しを開けると、そこには小さな木の箱が入ってる。
どれほど前からそこに有ったのか知りえる事は出来ないが、古ぼけたその小箱を取り上げ見ると、
木の蓋に師の文字で小さく”ユルヨ”と刻んであるのが見えた。
僕は、不意に師に行われた色々な事を思いだし、得体のしれぬそれに恐怖した。
何か…とても善からぬ物が入っているのではないかと…。
無意識に震える手でその小箱を開けると、中は綿が敷き詰められ、その上に白い布(もっとも年月で色あせて黄ばんではいたが)で包んだ物が乗せてある。
そしてその包みを開けると、中から小さな小さな白い歯が数個出てきた。
「これ…僕の、歯…。」
それは僕の乳歯だった。
ぐらぐらになっている乳歯を抜くのが怖くて、僕は珍しく師にダダをこねた。
泣きじゃくる僕に師は魔法を見せてくれて、僕がそれに口を開けて見とれている間に抜いてくれた。
抜けた歯を見せて”何て事ないだろう。”と師は笑っていた。
僕にとって師との数少ない幸せな思い出だ。
「取ってあったなんて…。捨てたとばかり思っていたのに。」
師がどんな思いでこれを箱につめ、引き出しの中に入れたのか分からない。
でも、術は僕が触れた事で解かれた。
そう考えると、再び僕がこの家を訪れあの部屋で師と共に暮らす事を望んでいたのだろうか…。
問いたくてももうその答えをくれる人はここにはいない。
「僕は…父の様に思っていたよ。師匠…。どんな酷い事をされても、ずっと愛していたのに…。」
師が僕に対して思っていた思いは、僕が思う愛情とは違うのかもしれない。今は何となくそう思う。
それでも思う形は違っても、僕が師として、父として愛していた事は事実だ。
そしてその愛した分だけ師も僕に返してくれたならば、あんな別れをしなくても良かったのにと思った。
もっと分りやすく、愛情を返してくれたならば…。
その残された歯をギュッと握り目を強く瞑ると、薄っすらと涙がにじんだ。
「師匠…。貴方の愛情はとても分り辛いよ…。こんな風にしか出来ないなんて…。」
一つそう呟くと僕はにじんだ涙を手の甲で拭い、部屋から出てそっとその戸を閉じた。
包んだ水鏡を背負うと玄関へ行き、今一度その戸口で部屋を見回すと、”さよなら…”と呟いて扉を閉めた。
建物の一階にある大家さんへそれまでの家賃を支払い挨拶をすると、僕は二度とその部屋の戸を振り返る事なく歩き始めた。
院の記録からは消された魔法使い。それが僕の師。
誰かの記憶から消え去っても僕はこの身に刻まれた師からの印と共に生きていく。
師が僕に望んだであろう真っ当な道を歩いて行こう。オレンジの光を放ちながら地平線に沈もうとしている夕日を見ながら僕は心に誓った。
fin.
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