「ユルヨさん…。」

そう名を呼ばれ体を揺すられると、ベドゥが恥ずかしそうな顔をしてこちらを見ていた。

「どうかした…?」

「あの、お腹が空きました。」

窓の外を見ると空は濃紺に変わっているのが見える。

「あぁ…また、随分と寝てしまったな…。」

「また?」

「ふふふ…前にここに泊まった時も、寝入ってしまって起きたら夜中近くだったから。」

「そうなんですね。でもこんな時間じゃ、ご飯食べらるかな?」

「…まぁ。きっと、大丈夫。…下へいこうか。」

他の宿泊客に気を配り、音を立てないように階段を下りると店主の男はやはり伝票を眺めていた。

「スミマセン。こんな時間ですが、何か食べられる物は有りますか?」

「えっ?あー…もう食事の時間は終わっちまったんですよね。」

「…残り物で構わないんですが。」

「それなら何とか。こっちに任せてくれるなら。」

「構わないです。あ…それから、僕にはバタードラムを…。あの、出来たら煮リンゴを付けて貰えたら…。出来ますか?」

「いやー。お客さん煮リンゴのバタードラムを良く知ってるね。あぁ出来るよ。席で待ってな。あ、出来れば…。」

「前の方で相席させて貰います。」

店主が言い切る前にこちらから言いたかったであろう事を告げると、店主はニカリと笑い、厨房へと入って行った。

店内を見渡すと、まだ割と人が居てボソボソと酔い気混じりに話す声が聞こえる。

あの時の老人はもうきっといないだろうけれど、何となく暖炉の側のあの席を見た。

と、そこにまだ老人というには早いが1人の老いた男が口にパイプをくわえて肩肘をテーブルに付きながら、本を読んでいるのが見えた。

「あそこに、お邪魔させて貰おうか…。」

そう言って、ベドゥを連れてその男の元へ近寄ると、

「あの…。相席させて貰いたいのですが…。」と声を掛けた。

「ん?あぁ…構わねぇよ。座んな。」

読んでいる本から顔を上げこちらを見たその男の顔は…とても懐かしい物だった。

「親父さん…もしかしてこの店の…?」

「ああそうだが?俺を知ってるのか?…いや、待てよ?あんたぁ見た事あるな。その長い髪…あ!あん時の!」

「覚えてくれて…?」

「ああ、ああ。よぉーっく覚えてるよ!俺のラムを褒めてくれた奴の顔は、忘れないさ!いやぁ…元気だったか?それにしても…変わらねぇなぁ?俺はこの通りジジイになったってぇのに。」

そう言うとワハハと笑う。

その顔は年は経て皺は深く刻まれているものの、あの時とちっとも変らなかった。

覚えていてくれる人が居た事に、何だか気恥ずかしい様な何とも言えない心の中がじんわりと温かくなる。

「ユルヨさん、こちらの人はお知り合いですか?」

「うん…。前にここに来た時に店主をしていた人だよ。とても、良くしてもらったんだ。」

「へぇ…。あ!僕、ベドゥと言います。ユルヨさんの弟子です。」

僕の知り合いだと知ると、律儀なベドゥは慌てたように挨拶をする。

「あぁ宜しく。アンタ、弟子を取ったのか。凄いじゃないか!」

「縁が…あって。」

「うんうん。アンタなら、良い師匠になれるさ。」

そんなやりとりをしていると、あの良い香りが漂ってきた。

「何だ、アンタ親父の知り合いか?ほい。バタードラム。リンゴ付きな。後、すね肉のシチューとパンだ。足りるか?」

「これしかねぇのか?この客人はな、俺が若い頃俺のラムを褒めてくれた人だ、何か…ねぇのか?」

「そうなのか。いやぁ~…悪いねぇ。後はソーセージぐれぇしかねぇんだ。皆売れちまってな。」

「時間外なの、分かってますから…これで十分です。有難う…。」

「そうかい?まぁ何かあったらなんなり言ってくれよな。」

そう言うと店主の息子はカウンターへと戻って行った。

「すまないな。もうちっと気が利けば嫁の1人でも貰えるんだろうに、どうもアイツはそこん所野暮でなぁ。」

「僕は…このラムが飲めたら、それでもう…十分ですから。」

と、添えてある煮リンゴを浸しかじる。トロンとしたラムの深い味の後から煮リンゴの甘酸っぱさが追掛けて来てやはり美味い。

ベドゥは隣で美味しそうにシチューを頬張っている。その幸せそうな顔を見ているだけで、ほっこりするのは何故だろう?温かい気持ちに包まれながらぼんやり眺めていると、

「そういやぁ、この時期にアンタがここに来たってぇ事は、あれかい?星降る丘かい?」

「親父さんもご存じだったんですか。『星降る丘』の事。」

「まぁ、こんだけ毎年毎年魔法使いが村に押し寄せてくるんだ。何となく話は漏れ聞こえてくるってもんさ。」

「…そうですね。」

「それにな…。俺は聞いたんだ。ここに座ってたあの爺さんから。そうだ!ちょっと待ってろ?」

そう言うと傍らに置いた杖を手に取ると、店の奥へと入って行き、少しの間を置いて小箱を手に戻ってきた。

「ホレ。これだ。」

「…何ですか?」

「開けて見りゃぁ分る。」

その小箱を受け取り中を開けると、中には淡く小さな光を放つ石が入った小瓶が入っていた。

「これは…。」

「ああ、そうだ。爺さんの、小瓶だよ。」

「え、でもどうして…?」

「実はな、アンタがここを訪れてからその後、あの爺さん次の星降る日を迎える事が出来なかったんだよ。」

「…。」

「でな、爺さん、家族にゃぁとっくに旅立たれて息子夫婦も遠くに住んで暮らしてるんで、ずっと1人で住んでたからよ、毎日俺が飯作って持ってってやってたんだ。なに、見慣れた顔を一日でも見ねぇと何だかこっちも調子が出なくてな。そんで、ある日晩飯持ってってやたら、この小瓶を預かってくれって言うんだ。」

「預かる?」

「そうさ。『俺は多分次の夜の節は迎えられない。だから、頼みがある。』って爺さん言ってな。

その小瓶の中身が何なのか、自分が何でそれを持ってるのか、俺に話してくれたんだ。全部話した上で、この小瓶を渡して欲しいってんだ。アンタに。」

「…僕、ですか…?」

「ああそうさ。アンタが次の夜の節に来た時に、渡して欲しいって言ってな?預かってたんだよ。」

「…スミマセン。」

「なぁにいいさ。世の魔法使い全部が全部星降る丘に行く訳じゃねぇんだろうしな。気にするな。」

「はい。老人は、僕にこの小瓶をどうして欲しいと…?」

「いんや、特に何も言ってなかったよ。ただ、『運命は見つかったか?と聞いてくれ』とかなんとか言ってたなぁ?」

「そうですか…。」

「俺は何の事か分かんないが、で…。どうなんだ?爺さんの墓言って聞かせてやんねぇといけねぇからな。頼まれたこたぁちゃんとやらねぇと。」

「どう、だろう…?」

暫し考えてあの日からこれまでの事をグルグルと急いで思いめぐらせた。

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