禁書の本が逃げて(厳密には中身の文字なのだが)から数日、俺は珍しく仕事が入ってその間図書館へ足を向けることがない日々が続いていた。
そんなある日、珍しく家の扉をたたく音がする。

「はいはい。誰だ…この忙しい時に…。ポポンちょっと出てくれないか。」
「俺はお前の小間使いじゃねぇ…。」

見た目とは裏腹に口の悪いポポンが俺の変わりに戸口へ出ていくのを眺めながら、俺は頼まれていた本の表表紙に布をあしらっていた。

「客だ…。」

ポポンの声に顔を上げるとそこにはあの司書が立っていた。

「よぉ。最近来ないからどうしたかと思ってたよ。」
「あぁお前か。ていうか俺お前に家教えたっけ?」
「いや、聞いてないよ。図書館で調べた。」
「そっか、で?俺に何か用か?出来れば手短に頼む仕事仕上げないと…。」

片手間で本を仕上げるわけにもいかず、一旦仕事の手を止めノリの付いた手をぬぐうと、やかんを火にかけた。

「茶ぁ位しかないけど、飲むだろ?」
「ああ、貰うよ。」
「で?なんでこんな所まで来たんだ?というより、司書の仕事はどうしたんだ。」

司書は外套を脱ぐと椅子の背へとかけ腰かけると、手を組みじっと俺を見た。

「うん、今日は司書としての仕事できたんだ。」
「え…俺なんか返してない本何かあったか?」
「ハハハ、違うよ。今日はな、お前に頼みたい事があってきたんだ。まぁ平たく言うと仕事の依頼を持ってきた。」
「え?仕事…?」
「そうだ。この前本が逃げた事件があっただろ?」
「あぁ。そういやあれ、どうなったんだ?上の方が何とかするんだろ?」

ピーという湯の沸く音に席を立つと、茶葉を入れ俺の家にある茶器の中で一番状態の良いものを選んで戻る。

「悪いな。客用の茶器なんぞ置いてないからこれで我慢してくれ。」

紅茶葉の甘い匂いが部屋に満ちて、湯気の立つそれを渡すと、彼は受け取りながら何やら難しい顔をしていた。

「なぁ。お前旅、するつもりはないか?」
「何だ藪から棒に。」
「…実はな。その例の本について、院の上層部と館長が正面からぶつかったらしくてな。院の力を得られなくなったんだ。」
「どういうことだ?」
「院の上層部は『大本となった本を術で燃やせば飛び散った文字も消えるだろう。さっさと燃やしてしまえ。』という見解でな。それに対して館長は『図書館たるもの本を燃やすなど言語同断。それに消去した場合のリスクや及ぼす影響など、そもそも得体のしれない本をそのように扱ったらどんな事になるやら分からない。文字は収集するべきだ。』と主張したらしい。」
「そりゃ、館長のいうのがもっともだろう。」
「まぁな。だが、それがお偉いさんには気に入らなかったようでな。『そういうのであれば院は一切関与しない。図書館で何とかしろ。』と言われて、売られた喧嘩を買っちまったらしい。」
「…何だよそれ。本を何だと思ってるんだ。」
「だよなぁ。俺はお前ほど本に心酔してるわけじゃないが、それでも毎日手にしてる物をゴミみたいに言われるとちょっとな。」
「…で?それが俺に何の関係があるんだ?旅って?」

司書は一口お茶を口に含み飲み込むと、一つ息をついて続けた。

「逃げた文字を追って欲しいんだ。」
「は?」
「お前に、その逃げた文字を集めて欲しい。」
「はぁあ????」

あまりの突然の事に俺は口へ運ぼうとしたコップを、手から滑り落してしまった。

「うわぁっっちぃ!!」
「大丈夫かよ。」
「あ、あぁ…。え、ていうか、お前冗談で言ってんだろ?」

こぼれたお茶を雑巾で拭きながら司書の顔を覗くと、いたって平然とした顔をして口端に笑みをたたえている。

「いや、本気さ。」
「何で俺!?俺魔法院所属の魔法使いでも何でもないぞ!?ましてや司書でもないし。」
「だからだよ。」

待ってましたとばかりにハハハと笑うと司書は立ち上がり俺の肩へ手を置いた。

「俺たちは図書館の仕事があって、あそこから離れられない。けど文字はその間もどこかを漂って標的を見つけようとしているだろう。いや、もう既に取り付いて悪さを始めているかもしれない。時は一刻を争うというのに、手が足りないんだ。」
「だ、だからってそんな大仕事、たかが一塊の魔法使いに頼む何てどうかしてるだろ!?」
「いや、俺はお前が適任だと思ってるさ。魔法の知識をそこそこ持っていて、尚且つ本を大切に思っている。ぴったりだろ?」
「な、何がぴったりだ。それに俺今仕事請け負ってるんだぞ?旅なんか出てられない…。」
「そうかぁ~…だとしたら、あの本は可哀想だがやっぱり消去するしかないのかぁ…。」

人の好さそうな顔をしてニヤニヤと意地くその悪い笑顔をしながら俺にそういうと、続けてこういった。

「あー…。あの本がどんな”厄災”を起こすのか、生で見られるチャンスだったんだけどなぁ?現実に作用する本何て早々表に出る事なんてないだろうし。残念だなぁ。」

俺は司書の手を払いのけると立ち上がった。

「わぁかったよっ!受けりゃいいんだろ!?全く…とんでもない奴と知り合いになっちまったもんだな。」

ブツブツ文句を言いながらにらむ俺に、司書はシレっとした顔をして微笑むと、

「そうか、引き受けてくれるか。君ならきっと引き受けてくれると思ったんだ。助かるよ。」
「うるさい。お前がそういうように仕向けたんだろうが…ったく…。」
「ハハハ。まぁな。でも本と世の中の大事には違いない。お前がやっぱり適任だよ。それに…館の仕事だ。報酬もそれなりに用意する。悪い話じゃないだろ?」
「俺は金でどうこう仕事はする奴じゃねぇんだっ!」
「じゃぁ…友の頼みだと思ってくれ…頼むよ…。」

司書は本当に困り尽しているというような顔をして苦笑していた。
”友”という言葉を久しぶりに聞いたような気がした。
単なる図書館で会う”知り合い”から”友達”へとランクアップしたことに、悪くないと思いつつも、そんな頼み方、ずるいなァと苦笑した。

「…分かったよ。まぁ、でも今のこの仕事終わらせてからだ。顧客ないがしろには出来ないからな。」
「いいよ。で?いつ出れる?」
「…明日には。」
「明日?大丈夫なのか?」
「何だよ!世の大事なんだろ?ちょっとでも早い方がいいだろう。」
「ハハハ。そうだな。じゃぁ、明日。出る時館へ寄ってくれ。本をお前に渡す。」
「ああ。あ、ちょっと待て。そういえば文字、どうやって本に閉じ込めるんだ?」

司書は戸口へと向かいながらヒラヒラと手を振りながらこう言った。

「さぁなぁ?とりあえず方法調べておくよ。分からなかったらナミル流でいいさ。」

”パタン”と閉じる扉に向けて俺は手にした雑巾を投げつけていた。

「クッソ、やっぱ引き受けるんじゃなかった!!」

この街を生涯の根城にと住み始めて数年。
まさかこんな形で外の世界へ足を踏み出すことになろうとうは。
目に見える小さなこの部屋をぐるりと眺め、深くため息をつくと、暖炉の上にある師匠の写真を見つめた。

「爺さん、俺…旅に出ることになっちまったわ。」

亡き師はその小さな額縁の中でただ優しい笑みを称えるばかりだった。