街で”ヴァリオン・アージェン”と名乗る男に身を救われてから、半年程経った頃。
ユスティーナは相変わらずの毎日を送っていた。
流石にあの一件から用心するようにはなり、服装や出る時間などに気を付ける様にはしているが、
街へ出る事はやめなかった。
その訳はほぼ自活の様な生活を送っている中で、日用品として不可欠な物を手に入れるには、
街へ出るしかなかったから。(もっとも王宮で望めばそんな労なく手に入れる事は出来たのだが。)
しかしそれはユスティーナにとっては名目上の理由であった。
本当はあの男にもう一度逢えないだろうかと、何故にそこまでこだわるのか、はっきりとした理由は分らなかったが、兎に角、すれ違うだけでもいい。姿が見られたら…という淡い期待を抱いていたからだ。
買い物帰りにあの酒場へ寄っては酒を買うふりをしてその姿を探すも、
あれ以降一度も見かける事はなかった。
その日も早いうちに街へ買い物へと出かけ、母と住む離れの住まい屋へと戻ると、執事のヘルマンが慌てて出迎えた。
「姫!お探ししましたぞ…。」
「どうしたの?ヘルマン。そんなに慌てて。」
何時もは冷静な老紳士である彼の慌て様が可笑しくてクスクスと笑みが漏れる。
「どうもこうも…。先ほど王付きの侍従から連絡があり、姫の専任になる騎士殿が決定されたと…。」
「え…?騎士、様…??」
「はい。左様でございます。それでその御仁が本日ご挨拶にいらっしゃるとの連絡がございまして…。」
「まぁ、そうでしたの…。それは笑ったりしてごめんなさいね。直ぐに準備します。」
「は。それでは。」
ヘルマンが部屋を出て行き、手にしていた籠を机に置くと”ほぅ…”とため息をつく。
「ワタクシに…騎士様を付けて頂く程の…価値などありませんのに…。」
零れたため息と共に心の内も漏れ出でた。
数多いる姫達の中で、自分程この国の姫として、役に立たない能力を持って生まれた姫はいないであろうと、常々思っている。
能力を自分でコントロールする事も出来ず、またそれを使うにはあまりにもリスクが大きい。
そんな自分に国の護りとなる大事な騎士殿を付ける位なら、もっと他に大事にすべき姫は数えきれないほどあろう。
だから、騎士殿が挨拶にやってきたら、辞退を申し出でよう。と心に決め着替えを済ますと、
タイミングよくヘルマンから騎士殿が訪れた旨を知らされる。
「ご準備は宜しいですかな?」
「ええ。良いわ。」
ヘルマンが扉を開けると一歩前に出て進む。
居間までの距離は本宮の姫に与えられる部屋とは違い、左程長い距離ではないが、
大きな窓から差し込む陽の光を浴びながら、ヘルマンと共に歩く。
と、不意に目と鼻の先にある扉の向こうで待つ騎士に少しの興味が湧いた。
どちらにせよ、断りを入れる相手とはいえ、相手のタイプを分析して、最良の言葉を選ぶことは必要だろう。
「ヘルマン…。騎士様は…貴方からみて、どんな方?」
「そうですなぁ。性格までは掴みかねますが、見た目はとても…印象的と申しましょうか…。」
「ふふ。そんな突飛な方ですの?」
短い会話をしながら居間へと入ると、そこにはすらりと手足の伸びた、長身の男性が立っていた。
その姿を見るなり、胸の奥底がザワザワとしだす。
長く真っ直ぐ伸びた黒髪。片側だけを前に垂らし顔は今のこの場所からは見えない。が、思い浮かべるのはあの太陽が燃える様なオレンジの瞳だった。
気が付くと胸に両手を祈る様に組んでいる自分に気が付く。
ハッと我に返り手を下に組み直し、小さく呼吸を整えると声をかけた。
「お待たせいたしました。ユスティーナで御座います。御機嫌よう。」
普段のこの離れではする事のない、姫としての礼を取りお辞儀をする。
声をかけられた彼は驚いたように振り返る。その顔はまぎれもなく、あの時の彼であった。
胸が激しく音を奏でうるさい。
彼からの言葉を待っていると、
「あ、どうも…。あんた、ホントに姫だったんだな…。」とまるで緊張感のないその声に、拍子抜けをして思わず吹き出してしまっていた。
「ごめんなさい。笑ってしまって。貴方が…ワタクシの騎士様に?」
「まぁ…そうだな。色々あって、騎士になる事を選んだんだが、たまたまアンタの名前を出したら、そのままココへ行くようにと言われたんだ。」
「そうでしたの。それは、何というか…。残念、でしたわね…。」
そこまで言うと、顔が曇る。
そんなワタクシの様子を見てか、執事が声とかけてきた。
「失礼ながら、姫。お知り合いですかな?」
「え?えぇ…以前貴方に後の事をお願いした、街でワタクシを助けて下さった方が、この方よ。」
「そうでございましたか。それはそれは…。ヴァリオン殿。その節は我が姫をお助け下さり、ありがとうございました。立ち話も何でございましょう?只今お茶をお持ち致します故、お座りになってご歓談下さいませ。」
「いえ、ヘルマン。いいのよ。」
老紳士の言葉を遮るように、席を離れ奥へ行こうとする執事に声をかける。
「ヴァリオン様。折角こんな遠い所までおいでいただきましたのに、ごめんなさい。ワタクシに専属の騎士様は必要御座いませんわ。」
「…どういう事だ?」
本当は、凄く嬉しかった。この半年探していた人に再び出会えたこと。
自分の名を覚えていてくれた事。そして専属の騎士にと配属されてきた事…。
全て嬉しかった。けれど、それ以上を望んではいけないと、思ってしまう。
幸せは多くを望み過ぎたら、その手のひらから零れ落ち、消えて行ってしまう。
それは悲しみでしかなく、又それを恐れる臆病な自分を打ち破るほどの自信は自分には一つもなかったのだ。
それにワタクシに付く事で、この青年のもつ輝かしい未来を奪ってしまいたくはない。
あの時、今この目の前にあるオレンジの瞳に魅入られた瞬間から、ずっと彼に囚われている。
それでも。それだからこそ、ワタクシの様な姫ではなく、その隣に並んで引けを取らない様な素晴らしい姫に付くべきだと、そう思った。
欲張ってはいけない。ずっと心にそう楔を打ち生きてきた。
与えられるだけの幸せの中で満足していればいい。そうすれば、悲しみは少なくて済む。
けれど、そう思うのに…。何故こんなに悲しいのか。
「…どういう事、でもありませんわ。ワタクシの様な…姫らしくない姫に着任しては、貴方の名折れになってしまいます。ですから…。」
余裕を持って微笑んで、姫らしく言っていたはずだった。
なのに…。
”ポタリ…”
「え…。あ…ワタクシ…。」
笑っていたはずだった。けれど前に組んだ手の甲に一つ、涙が落ちていた。
自分でも自身に何が起きたのか、わからなくて戸惑い、羞恥で顔が赤くなる、それでも一度落ちたそれは止まらなくて、ぽたぽたと床へ落ちていく。
「ご、ごめんなさい…。どうしちゃったのかしら…。」
落ちてくるそれを手で拭いながら、やっと彼が他の誰かの元に付くのが嫌だと思っている自分に気が付く。
この半年もの間、毎日のように街で彼を探しその姿をどうして追い求めたのか分らない。
そしていざこうして対面して見れば、嬉々として喜ぶ自分と、この瞬間追い求めた物を諦めなければならない気持ちとで、心がせめぎ合っていた。
他の誰かの横に立ち、にこやかに笑うであろうその姿を観るのは、想像するだけでも心が千切れそうであった。
けれど、望んではいけない。納得させなければならない。
心の中を覗かれまいと、必死に取り繕おうとしていると、ふんわり頭に彼の大きな手が乗せられた。
「なぁ?何でアンタの騎士になったら名折れになるんだ?」
大きな体を折り曲げて覗き込むようにワタクシの顔を見る。
そこにはあのオレンジの瞳が至近距離でワタクシを見つめていて、堪らなくなって目をギュっと瞑ってしまった。
「ワタクシは…生まれも良い所の姫ではありません。それに能力もこの国の為に有益に使える物じゃないの。何の利もなく、ただこの国の王の元に生まれたというだけの…役立たずだから…。貴方はもっと良家の姫に…もっと価値のある姫に…仕えるべきだわ。こんなワタクシには…勿体ない。」
絞り出すようにそう伝えると。彼は頭をポンポンと軽く撫で、こういった。
「そうか…。」と。
そしてワタクシの側から離れると、ヘルマンに何か一言二言呟くと部屋を出て行った。
その出ていく背を見送りながらこれで良かったのだと、自分に強く言い聞かせた。
ヘルマンはワタクシの気持ちを汲んでか、そのまま一礼をすると居間を出て行った
1人残されたワタクシは床へ膝が崩れ落ち、ソファーに寄りかかると一しきり泣いた。
そして、気づいた。
「ワタクシ…あの方の事が…好きなのだわ…きっと…。」
良く知りもしない相手だ。
見た目にはどことなく胡散臭い気もする。
それでも、目をつぶればあの日彼に助けられた光景が、鮮やかによみがえり心を焦がす。
きっと次に彼と逢う時には、その傍らに可愛らしい姉妹が並んでいる事だろう。
だから今だけ…。あの方を思う気持ちを赦してと、また次に顔を合わせた時には笑っていられるようにと願いながら、小さく小さく悲しみを歌に乗せて歌った。
力なき歌は、誰もいない部屋に悲しく響いていた。
to be continude...
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