走って走って…どこをどう走ったか分からない。

と目の前に王子に教えてもらった教会の建物が見えた。

神殿へ飛び込み祭壇の中へともぐりこむ。

 

「うっ…う…っ…うっ…うぅぅ~~~…。」

 

大丈夫だと思った。もうあんな事はされる事は二度とない。だから平気だと思った。

けれど、人に触れられる感触は、俺の肌を這い廻るあの王を思いだし逃れる事が出来ない。

あの王の…呪縛から逃れる事は…出来ないんだと、どこへ逃げても、どんな生活を送っても、囚われたまま解かれる事は出来ないんだと思うと、

悲しくなり解放されない心を黒く染め、声を殺して泣いた。

どれくらいそうやっていただろう。

 

「ん??誰かいるのか?」

 

知らぬ人の声にハッとする。ガタガタと震え更に身を小さくする。

 

”カタン…”

 

俺が隠れてる所を、見た事のない黒い帽子を被った誰かが覗き込む。

 

「ヒッ…!!ゴメンなさ…ごめ……。」

 

異様な風体におびえた心は耐えられず、気が付くとその場で失禁していた。

 

「僕。ほら、大丈夫だから出ておいで。」

 

そういうとその人は帽子を取り顔を見せた。その顔は深く皺が刻まれ白髪交じりの柔和な顔をした老人だった。

そして固まって動けない俺を自分の服が俺の排泄したもので汚れるのも構わず抱きかかえると、祭壇の隣にある部屋へと連れて行った。

 

「よいっしょっと…。さて、着替えをもって来よう。」

 

ソファに俺をそっと座らせるとクローゼットへ行き、清潔に整えられたシャツを持ってきた。

 

「う~む…この爺のシャツでは少し大きいがの。そのままでいるよりは良いじゃろう。さ、着替えなさい。」

 

泣きはらした目でそのシャツを眺める。

 

「あ、の…。ごめ…なさ…。僕…。」

 

漏らしたことの羞恥と老人のかける優しさに戸惑い、言葉が続かない。

 

「んん?ほっほっほ。気にするんじゃないよ。わし等子供の頃どれだけ漏らしたか分からぬわ。いいから、着替えなさい。」

 

そう言いながら老人はお茶を入れ始めた。

戸惑いながらも確かに濡れた服は気持ち悪く、俺は老人へ背を向けて服を脱いだ。

その様子を何気に見ていた老人は、俺の背中にある無数の傷後と焼印を見ると驚いたようだった。

 

「何と…。」

 

その声にハッとし、慌ててシャツを被ると両腕で自分の体を抱きしめる。

フルフルと小刻みに震える俺に老人はお茶を手に近寄り。

 

「いやな思いをさせてすまなかったね…。はい、お茶。」

 

そう言って俺から少し離れて座るとお茶を飲み始めた。

 

「ごめ…なさ…。」

 

目に涙が滲みぽたぽたと床にこぼれる。

 

「僕…。君は何か悪い事でも、したんかね?」

 

老人は泣きじゃくる俺にそう問いかけてきた。

 

「さ、ぃだん…よごし…たし…服も……。それ、に汚い…もの、みせ…た…から…。」

「汚い物?わしゃ、『汚い』もの何ぞ見てないし、『悪い事』なんぞ何もされておらんわ。ほっほっほ。」

 

その笑いに顔をあげる。

 

「さ、まぁ座ってお茶でも飲みなさい。あそこは凄く冷えただろう?」

 

おずおずと座り戸惑いながらお茶を受け取り飲む。

 

「しかしまぁ、何であんなとこにおったんだ?」

 

温かいお茶と、穏やかなその老人の顔を見ていたら、不思議と自分の抱えてる重荷を話したくなった。

あの王に売られされてきた事。アルバ王が救いの手を差し伸べてくれた事。

今日学校へ初めて勇気を出して行った事。

そして肌に刻まれた傷と人に触れられる事を受け入れられない事…。

長い長い時間、ポツリポツリと話していく。

一通り話を聞くと、老人はふぅ…と息を吐いた。

 

「そうか…。お前さんは優しい子じゃの。」

 

吃驚して顔上げる。

 

「そうじゃろ?親の為に我慢し、王の為に我慢し、ずーっと我慢してきたんじゃろ?自分の為じゃなく、人のために。」

「やさ…しい…?」

「そうじゃ。いい子だから皆お前さんに甘えてしまったんじゃのぉ…。」

「…。」

 

じゃぁどうすればよかったのだろう?そんな疑問が頭をよぎる。あの時俺に選択肢はなかった。

 

「僕に選ぶ事なんて…出来なかったのに…。僕は…どうすればよかったの…?」

「そうじゃなぁ…どうにもできなかったろうな。」

「え…?」

「過去に起こった事は、今更返る事はできやせんよ。悲しいがな。だが、今やっと選択出来る様になったんじゃろ?これからの未来は選びたい放題じゃ。」

「でも…おじさんのいうみたいに、そんな簡単じゃない…。今日だって勇気だして、学校行ったんだ。」

「そうさな。『選択』するってことは、そういう事だよ。与えられるんじゃなくて、自分から動く事。そうではないかね?」

「でも…上手くいかない。」

「ほほほ。上手く行く事ばっかりじゃないから、『選択』する事は楽しいんじゃよ。」

と言ってにっこり笑った。

「選択する…。楽しい…。」

正直混乱していた。

 

俺は「選ぶ」っていう事が分からない。そんな事許されなかった。

 

「僕…分からないよ。」

「いきなり分かったら、天才じゃわい。お前さんは何故今日学校へ行こうと思ったんだね?」

「勉強…したかったの。王様達にお城で教えてもらってたけど、もっと知りたくて…。」

「そうかね。それじゃぁ…どうだ?ここで勉強するか?」

「え??」

「まぁ…本当は同じくらいの子供達に混じって、勉強だけじゃない色々な事を学んだ方がいいだろうが、今のお前さんには…辛かろう?」

 

そう問われさっき学校で起こった事を思い出す。

子供は純粋なだけ残酷だ。

得体のしれない俺の様なモノをきっと遊び道具の様に弄り倒すだろう。

もう、誰かにどうこうされるのは嫌だった。

戸惑っている俺を見てその老人は続けて言った。

 

「ワシはな、ここで神官をしておってな。学舎の先生もやっておるんじゃよ。」

「先生…?」

「そうじゃ。まぁそうは言っても神官じゃで、この国の神様の話が多いかもしれんがな。それでもそれ以外の事でも王達に比べたら、沢山教えてやれるとは思うぞ?」

「…神様?」

「そうじゃ。この国はシズニと呼ばれる神を主神としておっての、その教えに従ってこの国の人々は暮らしておるのだよ。」

「神様なんて…いない。神様がいるなら、どうして僕はこんな…。」

「そうさね、神様はただ優しいだけじゃない。たまには人に試練を与える事もあるさね。」

「試練…?何のために?」

「う~む。中々説明するのは難しいが、困難を乗り越える力を授けるためかのぉ?」

「困難…。」

「お前さんはその試練に屈しなかった。だから今、ここにいるって考えると、多少は救われるじゃろ?」

「…。」

「で、どうするかね?ここで勉強、してみるかね?」

「ホントに…いいの?」

「もちろんじゃとも。ワシは嘘はつかないよ。そんな事したら神様に怒られてしまう。ほほほ。」

「じゃぁ…お願い…します。僕、勉強したい。それに神様の事も。」

「そうか、なら明日から始めるとしよう。いいかね?」

「ハイ。」

 

こうして俺は学舎ではなく、神殿で先生に授業を受ける事になった。

これが、俺を変える事になる始まりとは、まだこの時は知らなかった。

 

To be continued...