ここはヤーノ市場。プルト共和国の物流のかなめとなる場所。
朝1刻から開店し、多くの国民の生活用品となる物品を扱う商店だ。
私もそのヤーノ市場で働く1員ではあるが、表に出る事はまずない。
私の仕事は、夜に各ウルグ(作業場)から納品された資材を運搬する、
「カラ」と呼ばれるカラクリの荷馬車のようなものの手入れをする整備士である。
昼近くから仕事を始め、主要道路が石畳であるために痛みやすい車輪の交換や、
振動で緩むつなぎ目の調整をするのが主な仕事である。
また、夜商店が閉店した後、資材を運ぶためにカラを表に出すのも私の仕事だ。
その為、同じヤーノの一員であっても、私の事を知っているのはヤーノの主要員くらいであり、
表に出る事は無い。
その為にこの国に住まいながらも、知り合いと呼べる者はなく、
日々仕事と眠る場所を往復するだけの日々だ。
この仕事に不満があるわけではないし、むしろ自分の性格からすれば人付き合いの苦手な私にはあっているのであろうと思う。
だがしかし、誰かに自分の存在を知ってもらいたいという欲求が無い訳でもない。
ならば進んで自ら相手を探しに行けばよいのであろうが、
存在がないに等しい身としては中々その勇気も持てずにいた。
ある珍しく月も陰りを見せている夜の事。
いつもの様に私は返事を返すわけでもないカラにむかって語りかけていた。
「よぉ、赤い子。今日は順調だったかい?どれ…。あぁ、車軸が随分と痛んできているなぁ。
そろそろ交換しておいた方がいいだろう。明日変えてやるからな。」
物品を運び終えたカラの荷卸しをし、点検をしていた時の事である。
「ねぇ・・・!おじちゃん、何してるの?」
普段人の声など聞える事ない時間に、間違いなく響く人の、それも幼子の声にひどく驚いた。
「ねぇ~ってば~。ここ何するところなの~?」
薄暗い中、倉庫の入口に立つ姿はよく見えないが、小さな女の子の様に見えた。
「き、君こんな時間にこんな所でどうしたんだい!?」
我ながら調子はずれの素っ頓狂な声だと思った。
「あのね~。お兄ちゃんが夜に大きなおもちゃがうごいてるんだよ!っていったの~。
だからアタシどうしても見たくってまってたの~。そしたら、この子がいたの!
だからついてきちゃった。」
幼子らしい物言いが可愛らしい。
「そうか…。まぁ、とりあえずそこは危ないから、こちらへおいで。」
「おじちゃぁ~ん。この子なんていうの~?」
そういいながら、さっとこちらへかけてきてさっき戻った赤い色のカラを撫でている。
「あぁ、これは”カラ”というんだよ…。私の大事な子供みたいなもんだな。」
「ふ~ん。そうなんだぁ~。カラちゃんっていうんだねっ!この子!じゃぁ、あっちの緑のは??」
「えっ…?」
どうやらこの子は赤い色のカラの名前が”カラ”だと思ったらしい。
「いや、そうじゃないんだ。これ全部の名前が”カラ”というんだよ。」
「えぇ~!?じゃぁ、この子のホントの名前はなんていうの??」
この時私はとても困った。そういえば自分の子供のようなものだと思いながらも、
個別で名前をつけようなんて考えたこともなかったからだ。
「ん~~~・・・。考えた事…なかったな…。」
「えぇっ!!そうなのっ!?じゃぁ、アタシが考えてあげるっ!」
そういうと「わぁい!」と叫びながら駆け足で駆け出していった。
「こんにちはっ!緑色のカラさん!あなたの名前はねぇ~・・・。」
次々に名前を付けていく。そして最後に私の所へ戻ってきてこういった。
「さ、ぜぇ~~んぶこれで名前ついたよっ!ちゃんと覚えてあげてね!」
「えっ…。」
子供の戯れだとおもって、つけられた名前を真剣に聞いてはいなかった。
「もぉ!おじちゃん、子供の名前もおぼえらんないのぉ?いぃい~?もう一回いうからおぼえてねっ!」
「あ、あぁ…。」
その子の勢いに押されてもう一度言われるその名前を復唱しながら覚えることになった。
「良かったvこれでおじちゃん、もっと、もぉ~~~っと大事にできるねっ!」
自分でつけた名前にひとしきり満足すると、
「じゃぁ、そろそろ帰るねっ!あ、また遊びに来てもいい?この子達に会いたいから~。」
そういってこちらが返事をするのも待たずに”またね!”とブンブン大きく手を振って、外へ飛び出していった。
後に残されたのは、老いぼれた私と新たに名前が付けられたカラ達と、取り戻した夜の静けさだけだった。
「またね…か…。」
そういえば、あの子の名前を聞いていなかったことに気が付いた。
次の時に聞いてみよう。
子供の事だ、もしかしたら次はないかもしれないが、次があると思うだけで、
それだけで生きている気がする。そしてあの子に名づけられたカラ達も。
「さて、そろそろ家に帰って寝るとするか…。じゃぁな、赤・・・いやロッソ。」
不思議と名を呼ぶだけで心が温かくなった。
そしてそのぬくもりと共に、作業場の明かりをけし作業場を後にした。
かげっていた月は随分と西へと傾き、薄明りがさしてきていた。
同じ毎日の同じ光景の筈なのに、今日はなんとすがすがしい事だろう。
軽い足取りと共に家路を急ぎ、心地よい眠りについた。
”またね”の約束と共に。
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